フランス
フランスの豆知識


通貨について

チップについて
トイレについて
ホテルについて
飲食店について
タクシーについて
喫煙について
スリ等について
交通機関について
覚えておくと便利な言葉

※思い出したら随時追加します
那夜の旅行記


1日目 成田~パリ
2日目 パリ~ジヴェルニー~ルーアン~モンサンミシェル
3日目 モンサンミシェル~ロワール
4日目 ロワール~シャルトル~パリ
5日目 パリ
6日目 パリ
7~8日目 パリ~成田
 
 
 
 
フランスの豆知識 
    那夜がフランスで体験し学んだ事、添乗員さんから教えていただいた事を書き綴ってみました。
 
通貨について
通貨はユーロです。トラベラーズチェックは使用できる店と使用できない店があるので両替時はユーロを
多めにしておく方がいいでしょう。
チップについて
枕銭:1€
レストラン及びカフェ:合計金額の5~10%
タクシー:5%又は料金の端数を切り上げる
トイレチップ:有料のトイレでは30~40¢
   
トイレについて
ヨーロッパ全域に言える事かと思いますが街中にはほとんど公衆トイレはありません。
喫茶店でコーヒーでも飲み、そこでトイレを借りましょう。
やはり、ヨーロッパ全域だと思いますが、便器の形は統一性が無いうえに、男性の小便器も非常に高い位置についていることもあります。男性トイレに個室しかないこともあります。
有料の公衆トイレがある場合はトイレ入口に人が居るのでそこで料金を支払います。金額は先述のとおり。
 
ホテルにて
フランスのホテルには、歯ブラシ、スリッパ、ガウンが置いてないです。出発前に忘れないようにしましょう。
シャンプー、リンスも基本的には無いと思ってください。
朝食のバイキングは、アメリカンタイプじゃないため、とっても質素。パン、コーンフレーク、ハム、チーズがメイン。ゆで卵や他の物があったらラッキーかなw
基本的に高級ホテルであれば、上記した物は揃ってますw
確認したわけではないですが、シャワーや洗面台等の蛇口のノブですが、ノブの中央にF、Cと記載があります。ちなみに、Fが冷たい水、Cが温水です。
HOT、COLDの記載じゃないから、間違って冷たい水を出そうとCの方をひねると、温水が出るので火傷しちゃうかもね。
今回宿泊したホテルは、蛇口がレバー式だったため、こういった混乱はなかったです。
なお、ヨーロッパの人は浴槽を使う習慣が極めて少ないため、ホテルにはシャワーしか無いこともあります。下手すると、ロッカー並みの狭さで壁に固定式のシャワーなんてこともあります。
また、宿泊客が一斉にシャワーを使用すると、お湯が出にくくなります。つまり水が出てくる。
そのためシャワーを浴びる前に水温を確認し、お湯が出にくいようであれば時間を置いてからにしましょう。
 次に飲料水です。フランスの水道水は衛生上の問題は全くなさそうです。が、やはり硬水ですので気になる人はミネラルウォーターを買いましょう。
レストラン等でピッチャーで出てくる水は水道水で無料です。
もちろん硬水なので、心配な方はやっぱりミネラルウォーターを飲んでおきましょう。
もちろん、ガス入り(With-Gas)、ガス無し(Non-Gas)のミネラルウォーターがあるので買う時には、どっちなのかきちんと言いましょう。
 
飲食店について
基本的に、席に着いたら、まずドリンクを注文してください。その後にゆっくりメニューを見て食べたい物を選びましょう。
メニューの文字は殆どがフランス語でした。英語標記のメニューを置いてる店もありますが、
私が入ったお店は殆どフランス語でした。フランス語会話の本でも持ち歩くと便利です。
 
タクシーについて
普通に流しのタクシーでもOK。ただし流しのタクシーは本数が少ない(既に客が居る)ので、
駅前や空港、観光名所から乗るようにしましょう。
基本的に乗車は3人まで。4人目以降は追加料金が必要になる場合も。
 
喫煙について
密閉された公共の場所(レストランやホテル等・・・つまり建物の中)は禁煙です。
空港も建物内には喫煙場所はありません。違反すると68€の罰金が課せられます。
屋外であれば何処でも喫煙できます。普通に歩き煙草、ポイ捨てがアチコチに・・・w
マナーとして灰皿のある場所で喫煙するようにしましょうw
 
スリ等ついて
人が凄く集まる場所・・・観光名所等でかなり出没します。物乞いや、必要以上に近寄ってくる人は、極めて要注意。街を歩くときは、必ずカバンは自分の前面へ持ってきてチャックなどの箇所に片手を添えて歩くようにしましょう。また地下鉄でもスリが多発してます。ラッシュ時は要注意。
なお、スリ以外にも、ヒッタクリ、置き引きはホテルのロビーですら多発してます。
地下鉄には痴漢も多いらしいので要注意。
 
交通機関について
主にタクシーか地下鉄、バスを利用する事になると思います。タクシーに付いては先述のとおり。
バスについては、土地勘や路線図が読めないと難しいかもしれない。
なので私は乗らなかったw
よって、地下鉄の説明だけ記載します。
まず、『METRO』の看板のある場所からホームへ向かいます。
この辺りは日本と同じ。
券売機で切符を購入し、改札を通ります。(ここも日本と同じ)
切符は1枚で買うより、10枚セットの回数券がお得です。
電車が来たら、ドアを開けます。自動ではないので、ボタン若しくはレバーで開けましょう。
電車に乗ったら目的の駅まで。電車のドア上部に日本の電車と同じように、その路線図があります。
また、各駅の壁に大きく駅名も記載してあるので駅の確認はしやすいです。
目的の駅に到着したら『SORTIE(出口)』の標識のある方向へ。改札は切符を通さないです。(切符一枚で乗り換えも可能な定額)
覚えておくと便利な言葉
☆おはよう、こんにちわ
  Bonjour(ボンジュール)・・・最後の「ル」は発音しない方がスマートかも
☆こんばんわ
  Bonsoir(ボンソワール)・・・最後の「ル」は発音しない方がスマートかも
☆おやすみ
  Bonne nuit(ボンニュイ)
☆失礼
  Pardon(パルドン)・・・英語でSorryみたいな感じ
☆あのー、すみません
  Excusez-moi(エクスキュゼモア)・・・英語でExcuse meみたいな感じ。「ごめんなさい」とも使える。
☆はい
  Oui(ウィ)
☆いいえ
  Non(ノン)
☆いいえ結構です
  Non,Merci(ノン メルスィ)
☆ありがとう
  Merci(メルスィ)
☆これはなんですか
  Qu'est-ce qu c'est?(ケスクセ)
☆いくらですか?
  Combien?(コンビアン)
☆~を下さい、お願いします
  S'il vous plait(スィルヴプレ)・・・例:メニューを下さい(La carte,s'il vous plait【ラ カルテゥ スィルヴプレ】)
                       英語でpleaseと同意

他にもありますがキリがないので、この辺で。フランス語会話の本等を用意して持ち歩くと便利です。


那夜の旅行記

1日目 成田~パリ 2008,09,13
 ずっとずっと憧れ続けていた国フランスへ、ようやく行ける事に。いざ行く事が決まってツアーパンフを見ても、行きたい所がありすぎてシックリ来るツアーがないw
その中でも、メジャーなポイントを押さえているツアーに決めました。
エールフランスの飛行機で出発!シャルル・ド・ゴール空港へ到着し、パリ市内のホテルへ向かう。
「ここがフランス、パリの街か・・・」と早くも感動が込み上げて来る。
 フランス時間の17時過にはホテルに到着したので、まずは近所のスーパーへw
飲み物とお菓子を買いに出かけました。ちなみに、スーパーのレジ袋は3¢します。
買い物用のトートバックみたいな物を持参するのがお薦めです。
レジで清算し、小銭をしまおうとしてた時、うっかり1€を落としてしまい、地元の少年が拾ってくれました。さっそくフランス人とのコミュニケーション「Merci」と笑顔で返す。
ホテルに戻り、時間もあったので再び外出。
今度は地下鉄でオペラ座を見に行ってきました。
オペラ駅で下車し、夕方のパリの街を歩く。左の写真はオペラ座の前の街並み。
オペラ座をグルっと一回りしながら街並みを見て楽しむ。
パリの街を歩いているだけなのに、物凄く嬉しい。憧れの国、憧れの街だしね。
 再び、オペラ座の正面まで戻ってくる。右下の写真がオペラ座。本当は中に入って見学したかったけど、今回の旅行では機会がなく残念ながら外からだけ。
パリにはオペラ座が二つあり、こちらはガルニエと呼ばれている昔からある方。
もう一つはオペラ・バスティーユ。どちらもオペラ座と呼ばれているので注意。
ガルニエは昔はオペラをやっていたが、現在はバレエ中心となっている。オペラが見たいならバスティーユへ行かないと見れません(たまにオペラもやるけど)。
有名な「オペラ座の怪人」の舞台は、このガルニエの方。 
 今回の旅行で達成できた事が1つ。それは世界三大オペラ座を、この目で見る事。
ミラノのスカラ座、ウィーンの国立歌劇場、そしてパリのオペラ座。
できれば、その三箇所の中で、オペラ等を見てこれたら最高なんだけど、さすがにツアーでは時間が無い。でも、こうやって見る事が出来ただけでも嬉しい。
 とりあえず、オペラ座を見て満足したし、遅い時間の地下鉄も少々怖いので、ホテルへ帰りました。
時差ボケもあり中々寝つけないかと思ったけど、日本時間から7時間も遅れているので、通常は思いっきり寝ている時間帯のはずなので、ソッコーで寝ちゃいました。
2日目 パリ~ジヴェルニー~ルーアン~モンサンミシェル 2008,09,14
 起床し朝食を取って、さっそくバスで移動開始。パリとは一時お別れです。
 ジヴェルニーに到着し見に行ったところは、印象派の巨匠モネの家と庭園。
 左の写真がモネの家。彼は日本の浮世絵にも興味を持っていたので、家の中には浮世絵が飾ってあったりします。フランスの地で日本の浮世絵を見るのは、なんとも不思議な感覚でした。
 右の写真は、あの有名な「睡蓮」のモデルになった日本庭園。モネの家の前には花がいっぱいの洋風な庭園、道路を挟んだ反対側には日本庭園があるのです。モネは本当に日本に興味があったのでしょうね。やはり写真を撮影しながら「フランスで日本庭園の記念撮影なんて、なんか変な感じ」と思い苦笑しました。
 まぁ、この日本庭園も凄いのですが、私は家の前に広がる庭園の方が、ヨーロピアンな感じがして良かったですけどね。モネの睡蓮に興味のある人は、やっぱり日本庭園の方が興味深いのでしょうが。
 
  バスに乗り一路ルーアンへ向かいます。ルーアンといえば、ジャンヌダルクの終焉の地。左の写真はジャンヌダルク教会。旧市場広場にこの教会はあります。建物は新しい建造物です。この場所でジャンヌダルクは火刑にあいました。私がフランスへ来たかった理由の一つは、このジャンヌダルク縁の地を巡る事でした。この場所を見ていると、なんとも言えない感情に満たされました。やはり彼女の悲劇を偲ぶ参拝者が絶えないそうです。
 この後、ジャンルダルク大通りを横断し、大時計通りを歩きながら、ノートルダム大聖堂へ向かいます。ちなみに、ノートルダム大聖堂はあちこちの地にたくさんあります。ノートルダムとは「我らが貴婦人」の意。つまり聖母マリアの事なので、彼女を祀る大聖堂なので、あちこちに同じ名前があるのです。ここの大聖堂で有名なのは、やっぱり巨匠モネの連作での作品。彼は季節での光の移り変わりを絵にして、何枚ものノートルダム大聖堂を描きました。この写真を撮影した時の私の背後の付近に彼のアトリエがある建物があります。そこの2階の部屋を借りて、彼はこの連作を描いていったのです。それにしても、この壮大なゴシック様式の大聖堂は凄い。
 
 この後、サン・マクルー中庭を見学。この中庭と建物、ペストが大流行した際に死者を埋葬した共同墓地の名残だそうです。
かなりの数の死者が埋葬され、建物の柱にはドクロの彫刻が。今では学校として建物は利用されているそうです。
でも、そんな学校、私はいやだ~~!!!
 この後はバスに乗り一路モンサンミシェルへ向かう。途中、ハイウェイが工事渋滞してたけど、遠くにうっすらとモンサンミシェルのシルエットが見え初めて来た。
 モンサンミシェルの手前のホテルで下車し夕食。その後、ホテルにチェックインしてから、歩いてモンサンミシェルの夜景を見に行きました。その写真が右。
写真には写ってないけど、夜空には満月。その月光が、ノルマンディの広い平野を照らし出して、日本じゃ見られない幻想的な風景を見せてくれてました。写真を撮って見たけど、月しか写ってませんでしたw
 明日はいよいよモンサンミシェル。楽しみにしていた観光のひとつです。

3日目 モンサンミシェル~ロワール 2008,09,15
 バスに乗り込み数分で到着。その途中で撮影タイムを貰ったので、撮影したのが左の写真。
 このノルマンディ地方は酪農が盛んで、写真に写っているのは放牧されている羊たち。背中にはアルファベット等で印しが書かれているんだけど、これは羊が誰のものなのか区別するためだそうです。ちょっとカワイソス。
 ここは大天使ミカエル(サン・ミシェル)を称える修道院。この写真を見ても判るように、周りを海、そして堅固そうな外観は要塞にしか見えない。実際、英仏百年戦争の際は難攻不落の要塞として活躍したそうで、あの敗色濃かったフランス軍の要塞でも、ここは1度も落とされなかったそうだ。
 城壁をくぐりぬけ、一歩足を踏み入れると狭い参道にひしめきあって立ち並ぶホテルやレストラン、土産屋さん。右の写真は、「ラ・メール・ブラール」という歴史のあるホテル。有名なモンサンミシェルのオムレツはここのホテルのレストランのもの。
 
 まぁ、とにかく、この狭い島にこんだけのものがあるのだから、見物してる最中は開いた口が塞がらない。左の写真が先程述べた参道。この参道を通って、修道院へと向かう。途中からけっこうな数の石段を登って行く事になる。内部へ入るまでの通路はさすがに要塞として機能していただけあり、所々に敵兵の侵入を阻む造りが施されていた。
 右の写真は修道院の「ラ・メルヴェイユ【La Merveille】(驚嘆)」と名付けられた塔の最上階の回廊でゴシック建築の傑作と称されている。おそらくモンサンミシェル内部での一番の見所かもしれない。
 モンサンミシェルの内部の作りは山の斜面に立てられた建物なだけあり、まるで迷路のようだったため、見学している間ずっと、自分がどの辺に居るのか見当もつかなくなった。
 
 左の写真は先に述べた「ラ・メルヴェイユ棟」の外観。一番上の窓がある場所が回廊のある場所。神に近い場所でもあるこの場所は飛び降り自殺の名所になってしまったらしく、今では窓にガラスがはめ込まれている。ってか、普通に事故で簡単に転落しそうなくらい大きい窓なので、見当くらいつきそうなもんだが・・・。
 話は変わって中世の頃は多くの巡礼者を受け入れたモンサンミシェルは、18世紀には牢獄としても使用されていたそうで、それはフランス革命後もその役目は続いたらしい。
 中央の写真は大車輪。その収容された囚人の食料を運搬するために使用された物。この大車輪の中に囚人が入り中で回す・・・そう、よい例えが、ハムスターのアレですよwこの大車輪の他にも、死体を収容した跡も残されている。
 モンサンミシェルの修道院の見学が終わると右の写真のような居住区チックな場所に出る。
     
この辺りは特に説明も無かった(ような気がする)ので、詳しくは判らないが、実際に居住区だったんだろうな・・・と、
勝手に妄想を繰り広げてみた。
このまま路地を進むと、最初の参道へ繋がる。ここで買い物などをしてからバスへ向かった。
 昼食は、モンサンミシェルからバスで10分ほどの場所にあるレストランで、モンサンミシェル風のオムレツを食べました。「なんだぁ・・・外で食べるのかぁ・・・」とガッカリしたが、まぁ感じが判るだけでも・・・と思い、オムレツが出てくるのを楽しみにした。出てきたものが右の写真。玉子を泡立て器か何かで決め細かく泡立てた物を表面だけ焼いた感じの物。中身は玉子の泡wナイフで切ろうとすると、中身の泡がはみ出してくる。非常に食べづらいwそしてイマイチ味がない。いや素材の味しかしない!?せっかくだったけど、塩胡椒して食べた。ツアーの人の中には、中身の泡を残している人も居た。こうなると本家本元のオムレツの味の方が気になってくる。余計に本家本元が食べられなかったのが無念でならない。
 そして一路、バスはロワール地方へ向かう。約4時間の道程だ。美しい自然の中に優雅な古城が点在するというロワール地方。車窓からの眺めも、さぞ良かろうと楽しみにしながら、爆睡して現地に到着するのであった。
 ホテルにチェックインしてから、近所のスーパーへ。何気にスーパーは楽しい。その国、その土地の文化が直接感じ取れますからね。買い物の後、夕食に向かいました。

 
4日目 ロワール~シャルトル~パリ 2008,09,16
 今日はロワール地方の古城めぐり。私は古城めぐりが好きなので、この日も楽しみでした。
 まず、最初はアンボワーズ城。左の写真です。この場所で眺めただけでしたwなお、この城にはフランソワⅠ世に招かれたレオナルド・ダ・ヴィンチが訪れてます。
 右の写真は、シュノンソー城。別名「6人の貴婦人の城」。代々の城主が女性だったんです。この城はシェール川の上に建ってます。そして堀を挟んだ両脇にはフランス式庭園。6人の女性城主のうち、2番目と3番目がドロドロw2番目の城主ディアーヌは衰えを知らない美貌の持ち主で王の愛を独占した。そのため王の死後、積年の恨みを晴らすべく正妻であるカトリーヌは、ディアーヌを追い出し3番目の城主となった。6人の貴婦人の中で一番有名な話だそうです。城内には各階に見事なまでの大きな生け花がある。大きいのに物凄く可愛くデザインされているのが驚いた。
 
 シュノンソー城は敷地内にワインシャトー(醸造所)があり、ワインの試飲もできた。非常に珍しい赤いシャンパンもあった。
しかし赤いシャンパンは試飲させてくれなかった。ガッカリだw
この後、少し先に行った所で昼食を済ませ、ソローニュの森にたたずむ城「シャンボール城」へ向かう。
向かう途中、ロワール川沿いにパリ方面へ進むのだが、まず最初に今日最初に見たアンボワーズ城、次はショーモン・シュル・ロワール城がロワール川の向こうに見えてくる。
ショーモン城は、今日2番目に見た城の2番目の城主ディアーヌが追い出された後に彼女に与えられた城だそうです。
さらに先へ進むと、左手にブロワ城。この城は宮廷がパリに移るまでの約100年間、フランス王家の居城だったそうです。
これらの城は車窓から眺めただけでした。
このロワール川沿いには他にも多数の古城が点在している。それらも見て回りたいが、そんな時間など無いのが短期間の旅行。残念です。
 そしてソローニュの森へ入り到着したのが左の写真シャンボール城。フランス・ルネッサンスの傑作といわれる城。この城で有名なのが、正面から入ってすぐにある螺旋階段。右の写真です。この螺旋階段は窓の開いた円筒の周りを二重に螺旋階段が取り巻いている。つまり、上り口が二つあるんです。片方を下り専用、片方を登り専用にすると、人がすれ違う事なく昇降できるというもの。一緒に見学した人たちと二組に別れて登ったら、当たり前だけど遭遇する事が無い。おまけに、片方の組が途中の階層で降りてしまい、私の組ははぐれそうになったw。この階段のデザインはレオナルド・ダ・ヴィンチだと言われているが定かではない。ちなみに、城の設計者も誰なのか明確に判らないそうだ。なんとも不思議なお城です。
 
左の写真はシャンボール城のテラスから眺めた正面の庭。城の裏側も同じような庭があり、どちらも中央の道がソローニュの森をつき抜けている。写真でも判るように道の先が見えない。まだ見ていないがヴェルサイユ宮殿を連想してしまう雰囲気でした。
 シャンボール城を後にし、一路シャルトルへ向かう。
 シャルトルに到着し見学に行ったのはノートルダム大聖堂。右の写真です。ここには聖母マリアがキリストを産んだ時に見にまとっていた衣の切れ端が祀られています。残念ながらお目にかかれませんでしたが、凄い物が現存するんだなぁ・・・と思いました。大聖堂の内部は暗めでした(まぁどこも大聖堂は暗いけどw)。このシャルトルのノートルダム大聖堂で有名なのは、聖母マリアの衣よりもステンドグラスです。
 
ここのステンドグラスは「シャルトルブルー」と讃えられているだけあって、全体的に青が多い。天気のよい夕方近くには、淡い光が大聖堂内を青く満たすそうです。中央の写真のステンドグラスには聖母マリアが描かれており、その聖母の衣の青は現在の技術でもなかなか表現できないらしいですよ。私達が訪れた時間帯は、まだ太陽光線も強かったためシャルトルブルーを堪能する事は出来なかった。その為か少々拍子抜けしてしまった。タイミングが良ければ感動的な青い世界を見れたのかもね。
 シャルトルでの観光を終え、一路パリへ向かいます。いよいよフランス旅行最後の地。そして憧れの街。絶対に堪能するぞ!と気合を入れる。
 宿泊したホテルは、フランスのアパルトマン(アパート)風のホテルでした。なかなかの設備で凄くよかった。シャワーのお湯は相変わらず時間帯によっては出にくいけどね。
  
 
5日目 パリ 2008,09,17
 まずヴェルサイユ宮殿へ。左の写真は宮殿入口の門。最近塗りなおしたばかりの門はキンキラキンに輝いてました。この宮殿はルイ14世が政治の中心とすべく建設したもの。この宮殿は皆様もよくご存知のベルサイユの薔薇や映画「マリーアントワネット」等々、様々な物語に登場しています。ここの見学も今回の旅行の楽しみの一つです。しかし、残念な事に、同時期に何かの展覧会を行っており、宮殿内のあちこちに訳の判らんモニュメント等の展示があり、見学の邪魔以外の何者でもなかった。現地ガイドのフランス人が宮殿内を案内しながら恥ずかしそうにしてました。
 右の写真は、この宮殿の中で最も有名で壮麗な空間の「鏡の間」。間というよりも廊下みたいに縦長の部屋でした。
 宮殿内にある物全ては本物であり、レプリカなど一つも無いっていうのが驚きました。扉の一つ取っても当時の物。フランス革命時に奪われた物等も買い戻したりしているそうです。徹底してますよね。
 
 左の写真はマリー・アントワネットが使用していたベッド。この部屋自体が彼女の部屋だったそうです。可愛らしい雰囲気の部屋ですね。映画「マリー・アントワネット」では実際にこの宮殿を使用して撮影されたらしく、この部屋も映画に出てきます。その為、この部屋に入るや否やすぐに彼女の部屋だと判りました。
 中央の写真と右の写真はマリー・アントワネットの肖像画。この二つの絵は有名ですよね。彼女はウィーンのハプスブルク家出身でフランスにお嫁に来たのですが、この絵を見ても判るように、かなり派手な生活をしていたそうです。その栄華を極めた彼女の最後は、フランス革命の際に処刑されてしまった事を考えると、「盛者必衰のことわりをあらわす」という言葉が頭に浮かびます。あぁ、そうそう。ルイ14世の肖像画もありましたが、おっさんの絵を載せてもしょうがないので、割愛しますw
 それにしても、この宮殿内を歩き回っている時に「ここをルイ14世やマリー・アントワネットが実際に歩いたり、使用したりしていたのか・・・」と思うと感動が止まらなかったです。歴史的に物凄く有名な人物達に歴史を超えて触れ合えるのは凄い事ですよ。
  
 左の写真は宮殿側から見た庭園。右の写真は宮殿。本当は左の写真の庭園の向こう側から庭園と一緒に宮殿を撮影したかったけどツアーで行動しているので仕方ない。それにしても、あまりに広大な敷地にはビックリです。判っていたけどビックリです。この敷地のどこかにマリー・アントワネットの離宮もあるそうですが見る機会がなかった。そりゃ庭園を充分に見て回ると丸1日かかるらしいですからね。やはりツアーだと時間の都合もあり中々残念な事も多い。
 この宮殿で番外的に有名な話ですが、宮殿には王族用以外のトイレは無く、オマルみたいな物で用を足していたそうです。そのオマルですら宮殿内の人員数には果てしなく足りなく、敷地内のバラ園等で用を足していたそうです。その為、宮殿内の女性たちは「花をつみに行く」と言うのが「用を足してくる」という意味の隠語を使用していたとか。女性のドレスのスカート部分が傘の様に広がっているのは、用を足しているのが傍から判らないようにするためらしい。
 
それを考えると、この華やかな宮殿の庭園は、その昔はオ○ッコとウ○コだらけだったのかな・・・wハエとか凄そうw
などと、いらん事を考えてしまいます。これだけの観光客が来るんだから、同じ事を考えた人はかなりいるはずだwww
 宮殿を後にし近所の免税店へ。ツアーだと必ず寄るんですよね。私はブランド品等に興味が無いので毎回この時間が暇で仕方ない。する事も無いので仕方なく商品を見ていると・・・さっき宮殿内の売店で買った扇子、この店の方が安い!!見るんじゃなかった・・・。こうなるのでやっぱり面白くないw
 この後、シャイヨー宮のテラスからエッフェル塔を眺める。眺めるだけ。なので写真も撮る。それだけ。しかも逆光なので写真もこんなに暗い。相方と一緒に写った記念写真は低空飛行のハトが絶妙なタイミングで一緒に写りこむ。まぁそれはそれで面白いがw。
 そして昼食。オペラ座近くにある中華料理屋。たまにヨーロッパのツアーではこういった感じに中華料理になったりします。やっぱ食事に飽きるからなのかな?
 さぁ午後はいよいよクライマックスw。ルーブル美術館です。天下のルーブルですよ。しかしながら、ルーブル美術館はまともに美術品を見て回ると5日はかかるそうだ。
もともとルーブル宮という宮殿を美術館にしているので建物も広いんです。ぶっちゃけ迷子になる事でしょう。
なので今回はルーブル美術館の中でも目玉となっている作品のみを見て回る事に。
見た作品のいくつかを簡潔に紹介します。
 まずは何と言ってもコレ。一番の目玉は左の写真「モナリザ」。レオナルド・ダ・ヴィンチの作品。物凄い人だかりでした。どの作品よりも、この絵は圧倒されると言うか、存在感が凄まじかったです。もうね、感想というか言葉にならないですよ。おそらく世界で一番有名な絵画じゃないかと思われる「モナリザ」が目の前にあるんですよ。私はこの絵を子供の頃から知ってました。幼稚園にモナリザ(当然本物ではない)が飾ってあったんですよね。今でも覚えてる。子供ながらに、この絵を見て何かを感じ取っていたように思います。単純に「怖い絵だな」と思っていたんだと思いますが、そこら辺はイマイチ覚えてません。
 右の写真も有名ですね。7月革命の絵です。歴史の教科書にも載ってますよね。この作品はドラクロワが描いた「民衆を導く自由の女神」です。よく勘違いしている方がいるのですが、この中央の女性はジャンヌダルクじゃありません。ジャンヌは英仏百年戦争で活躍している人物ですし、7月革命は400年も後の出来事です。この絵、けっこう私は好きなんですよね。私もちょっと勘違いしてましたが、7月革命はフランス革命とも違うんですよね。フランス革命の絵かと、ずっと勘違いしてました。
 
 次は彫刻です。左の写真は「サモトラケのニケ」。勝利の女神像です。エーゲ海東北にあるサモトラケ島から出土したものだそうです。スポーツ用品メーカーのNIKEの名前の由来は、この女神像からだそうで、NIKEのロゴマークはこの女神の翼を表しているとか。
 右の写真はご存知「ミロのビーナス」。見てください、この美しさと存在感。しかし背中側は以外と造りが甘いらしい。私等素人じゃ判りませんが。この像はメロス島という島に住むギリシャ人の農夫が破片を掘り出し、興味を示したフランス人が更に探させた復元したところ、この美しい女神像が出来上がったと言う。
 ニケもビーナスも出土された物なので、もしかしたら、まだどこかの地中で、これらに匹敵するような彫刻が眠っているかもしれない。そう考えてしまったりする。
 これら二つの彫刻は、ルーブル美術館の至宝の双璧となっている。
 他にもいくつか美術品を見て来ましたが、印象に残ったのは、ナポレオンⅠ世の戴冠式の絵。この絵はヴェルサイユ宮殿にも展示してある。この二つはダヴィット作であり、まったく同じ絵ですが、1箇所だけ違うところがあります。
 
それは、皇妃ジョセフィーヌの後に並ぶ3人の官女のドレスの色が、ルーブルにあるものは全部白。しかしヴェルサイユ宮殿にあるものは真ん中の女性のドレスだけピンクになっている。
 左の写真がヴェルサイユ宮殿のもの。写真の左端に身体半分が切れてしまってますがピンクのドレスを着てる人がいますよね。右の写真のルーブル美術館のものは白いドレスです。この2枚の絵は複製ではなく、どちらも本物。なぜ色が違うのか?それは作者の想い人だったとかなんとか。真偽は判りませんが。しかし、これだけの絵(しかもサイズはかなり大きい)を全く同じに描いた作者は超凄いと思う。ワンポイントで変化をつけるところも遊び心があっていいんじゃないかなw
 ルーブル美術館は映画「ダヴィンチコード」でも有名で、映画の序盤に美術館内で殺害されるシーンの場所も現地ガイドさんが教えてくれました。
 
 ルーブル美術館の見学が終わり、夕食までの2時間はフリータイムとなりました。オペラ座付近の三越(パリ店)の前で解散になったけど、2時間って何気に半端。そこで、コンコルド広場を経由し比較的小さいオラジュリー美術館へ。そこにはモネの睡蓮の絵があるのです。観光2日目に見た日本庭園がモデルの絵ですね(左の写真)。この絵は楕円系の部屋に360度のパノラマで描かれている。こんなに大きな絵をあの家の何処で描いたのだろう・・・と不思議に思いました。美術館内の他の絵を一通り軽く眺める程度に見て回り(時間が無いので)、チュイルリー公園の中を通り抜け、ルーブル美術館の前からオペラ座方面へ向かう。途中にあるジャンヌダルク像をじっくり見たかったから。右の写真がそれ。その後、三越前まで戻り、再びバスで夕食へ。今夜の夕食はエスカルゴ。やはりカタツムリなだけあって、女性陣の中には残した人がけっこういた。  
そこのレストランの店員がひょうきんで、アフォな事ばかり言っていた。そのうち同じテーブルの女の子の携帯ストラップを見て「エロキチ、エロキチ」と喜んでいた。
同じテーブルの人たちは「???」となっていたが、私は知っていたw「HELLO KITTY」というスペル。フランス語では頭文字のHは発音しないのだ。
そして最後のtyはチとも発音する。そうすると必然的に「エロキチ」になるのだよ。この事を同じテーブルの人たちに説明すると大爆笑。
その店員は片言の日本語を交えながら「オ~、エロキチ、カワイイ~」と喜んでいた。その後も、私の持っていたキティちゃんのハンカチ見せて
「ケスクセ?(これはなんですか?)」と聞き、「エロキチ♪」と答えさせて皆で喜んだww
聞いた話だと、フランスでは幼い女の子達が「エロキチ!エロキチ!」と口々にしながら、キティちゃんグッズに群がるそうだw
想像するだけで笑ってしまうw
 明日は観光最終日。終日フリータイム。見た居場所をまわりきれるか不安だが頑張って回るしかない。

おまけ写真。
左は言わずと知れたルーブル美術館の外観。
右はコンコルド広場。コンコルド広場でマリー・アントワネットは処刑されたのである。この広場からはエッフェル塔も凱旋門もルーブル美術館も見れる。
 
6日目 パリ 2008,09,18
 いよいよ観光最後の日。明朝には飛行機です。毎回、旅行終盤は寂しくなりますね。
 まず朝一番で地下鉄に乗り、乗換えをして向かったのがモンマルトルの丘。早朝に来たのが良かったのか、観光客が少なくけっこう静かでした。お店も開いてなかったしね。左の写真は、モンマルトルの丘のてっぺんのサクレ・クール聖堂の目の前のテラスから撮影したパリの街。右の写真はケーブルカー脇の階段。物凄くいい雰囲気。聖堂の前から少し脇道に入って見に行ったのは、ミュージカル「壁抜け男」にちなんだモニュメント。実際の壁から男が抜け出してくる像があった。他にもモンマルトル界隈には映画「アメリ」の舞台となったカフェもあるのだが、歩きだと少々距離がありそうなのと、他にも訪れなきゃいけない場所があるので残念だが諦めた。同じく映画「ムーラン・ルージュ」で有名な赤い風車もモンマルトルにあるのだが、やはり距離があり断念。このモンマルトルは映画や絵のモデルにされる事が多く、あちこちに名所があったりする。一度ゆっくり見たい街ですね。
 次に向かったのが、憧れのパリの中で、私が最も見に行きたかった凱旋門。
 
やはり大迫力でした。本当は夜のライトアップされた凱旋門も見たかったのだけど、そちらは断念。凱旋門の写真を撮り終えて、ふと後を見ると金髪外人女性が近くの柵にカメラを固定して記念撮影をしようとしていた。一人旅のようで凱旋門と一緒に写るにはカメラを置く場所が無い。なので近くにあった柵にカメラをくくり付けたかったみたいであった。なので声をかけて私が撮影してあげました。彼女は笑いながら「Thank You. You can speak English?」と聞いてきたので「No. sorry」と答えると笑いながら「OK」と返事。お礼に私達の撮影をしてくれた。同じ旅行者、同じ外国人どおし、困った時はお互い様。こういったふれあいが出来るのも海外旅行のよい所ですね。私は英語が得意ではありません。フランス語だって挨拶程度のレベルですが、【会話は心でするもの】と思ってるので、何気にコミュニケーションがとれたりする。まぁ相手の言いたい事がなんとなく判る感じ。こちらが伝えたい事はさすがに言葉を知らないので表現力が無く限界はありますがw
 凱旋門の写真の右の写真は凱旋門のてっぺんから撮影したもの。
 
遠くに見える小高い丘が先程訪れたモンマルトルの丘。この凱旋門からは主要道路が放射線状にのびている。
パリの街の通りは、このように広場などから放射線状に道路がのびている事が多い。碁盤の目みたいにはなってないので、近道したつもりが遠回りになったりとかよくある事だそうです。
 次に再び地下鉄に乗り向かったのはシテ島。島と言ってもセーヌ川の中洲です。地下鉄の駅からシャンジュ橋を渡りながら撮影したのが左の写真。
 橋を渡って長い行列の最後尾へ。サント・シャペルへ入るための列です。特に美術館で多いのですが入館する前にセキュリティチェックやるんですよ。鞄をあけて見せ、金属探知機をくぐる。空港みたいにね。なので入るのに時間がかかる事もしばしば。サント・シャペルはパリ最古のステンドグラスで有名。教会に入ってすぐに「凄っ!」と声が漏れたステンドグラスが右の写真。教会の壁の上部には写真のようにステンドグラスがビッシリのゴシック様式。今まで見てきたステンドグラスの中で一番凄いと思いました。光と色が作り出す幻想的な世界はしばらく眺めていても飽きない感じがした。
 
 次に向かったのが、サント・シャペルのすぐ近所にあるコンシェルジュリー。王室管理府がおかれていた施設で独房もあった。フランス革命の際、捕らわれたマリー・アントワネットが最期に過ごした場所。左の写真は彼女の独房を再現したもので、彼女の蝋人形が置かれている。右の写真はここで過ごしていたマリー・アントワネットの肖像画。なんとも暗い場所で、あのヴェルサイユ宮殿で華やかな生活を送っていた彼女の最期はこんな感じだった。この建物から彼女はコンコルド広場へ移送され、そこで断頭台の露と消えたのです。昨日ヴェルサイユ宮殿を見学し華やかさに圧倒された私は、そのギャップに衝撃を受け、非常にしのびない気分になった。相方も同じ気分になったようで、なんだかシンミリしてしまった。
 ひとまず、気分なおしに昼食にした。ノートルダム大聖堂のすぐ脇にあるレストランで食事。その後、ノートルダム大聖堂を見学した。
 
左の写真がパリのノートルダム大聖堂の内部。ナポレオンが戴冠式を行った事でも有名ですね。この大聖堂の塔へは登る事ができ、そこからはセーヌ川とパリの絶景が見れ、またパリをみつめるガルグイユ(ガーゴイル)達にも会える。が、私達が予め購入していた「パリ・ミュージアム・パス」はチケットを買う必要はないのだが入場する為の長い行列に結局並ぶ事になる。時間ロスを考えて、塔に登るのは諦めました。
 ノートルダム大聖堂を出て、次の目的地へ向かう前に外観を撮影。右の写真がそれ。
 次の目的地へは多少距離はあるが、カルネ(地下鉄の回数券)の残り数を考慮し歩いて行きました。途中、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の近くにある「カフェ・ド・フロール」でお茶しました。サルトルとボーヴォワールが毎日のように訪れたというカフェです。お茶の後は、目的地のサン・シュルピス教会へ。
 
この教会は映画「ダヴィンチ・コード」で一躍有名になった教会。教会内部には子午線とオベリスクがあるが(右の写真)、これがダヴィンチ・コードの物語ではローズラインと呼ばれ謎を解く鍵とされている。実際はローズラインと呼ばれた事は無く、まったくの無関係。教会内にもその旨がかかれた声明文が貼ってある(読めなかったけど)。
この教会ではナポレオンが歴史を変えるクーデターの直前に宴を催したと言う。
私たちもそうなのですが、やはりダヴィンチ・コードを見て訪れた観光客と思われる人たちが、この子午線を撮影していたり、興味深く見ていたりと、むしろ教会よりローズライン(子午線)に興味がある様子でした。
 この後、向かう場所で悩んだのが、オルセー美術館。作品を見て回るには時間が無さ過ぎる。他を観光に行くべきか・・・。「パリ・ミュージアム・パス」を持っているので、せっかくだから見たい絵だけでも見に行こうと決定し歩いて向かう。もはや私は地図さえあればパリの街は自由に歩き回れそうだw。
 オルセー美術館での一番の目的は、ミレーの「落穂拾い」。まず、その前に私がゴッホが見たいと言ったので先にゴッホの作品が展示されている場所へ。
 
今回の旅行で旅行会社からもらったパンフに載っていたオルセー美術館のお土産品にゴッホの「夜のカフェテラス」のマグネットが載っていたため、思いっきり勘違いしオルセー美術館に「夜のカフェテラス」がある物と思っていた。実際はオランダの美術館にある(後で調べたw)。探しても無かったので(当たり前だ)諦めたが、思いがけない名作の数々。
ゴッホの自画像やオヴェールの教会等があった。またそのエリアの隣にはモネの睡蓮の関連作や、ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」等が!
これらに会えたので良しとしよう!と、気持ちを切り替えて、目的のミレーのエリアへ。そこへ行くと工事しているではないか。
美術館職員に尋ねて見たら、今は台湾に貸し出しているとの事。なんたる不運。けっきょく見たかった作品には出会えずに美術館を後にする。
今回学んだ事は、見たい美術品がある場合は【何処の美術館にあるのか?】を事前に調べておくことw。
パリのようにあちこちに大きな美術館があり、また美術館の中には多数の作品がある。旅行の本だって全部は紹介できないですからね。
 美術館を出た私達は、夜に行くセーヌ川クルーズの乗船所の場所を確認しにいく。確認後、地下鉄でオペラ座近くへ。
相方がH&Mの店が見たいというので行ったのはいいが場所が判らないwオペラ座界隈を彷徨い、最終的には携帯で調べて場所を確認し到着w。
そこで相方はコートを購入。「MADE IN CHINA」と書いてあるのが気にはなるがw、本人は別に気にしないとの事で買っていた。
そのコート購入が後々正解に繋がる。
時間的には夕食時。オルセー美術館とH&M捜索でロスした時間もあり、夕食をしているとセーヌ川クルーズの乗船時間に影響が出そうであった。
しかし、今、乗船所へ向かうと時間が余る。食事か向かうか悩んだ挙句、乗船所へ向かう事にした。
レストランで注文しても食事が出てくるのに凄い時間がかかる場合も多々あるため、セーヌ川クルーズを優先した。
地下鉄の駅を出たのがちょうど20時になるところ。目の前には青く光るエッフェル塔がセーヌ川の向こうに見える。そのエッフェル塔が20時になると同時にキラキラ輝きだした。それが左の写真。
夜のエッフェル塔は、00分の時刻になるとキラキラ光るのだ。なんというタイミング!見れてラッキー!輝いているのは10分間。輝きが収まるまでその場で眺めてました。
 クルーズまでには時間に余裕があるので、エッフェル塔の下まで行って見ました。右がその写真。東京タワーと違って本当に直下までいけるので、エッフェル塔の真下から見上げてみた。ふぅーんって感じだったけど、直下から見たエッフェル塔なんてなかなかお目にかかれないので少々レアな気分にw。
展望台まで行ってパリの夜景を見たかったが、時間的にヤバそうなので諦めました。実際、展望台へいった人から聞きましたが、展望台は最上部、中段、下段と三段階あり、各階でエレベーター待ちがあり、それぞれ30分ほど待たされたという。その待ち時間は想定外。行ってたらクルーズ終了してましたよ。危ない危ない。クルーズの時間も近いので乗船上へ。
 
 乗船し船が出発する直前、またエッフェル塔がキラキラしました。結局、クルーズ中も1回キラキラしたので合計3回も見れました。
 船は両サイドに物凄く明るいライトをビッシリつけながら航行するため、船が通るとセーヌ川河岸が物凄く明るくなる。昨年のドナウのナイトクルーズが幻想的だったので同じようなのを期待してたのだけど、まったくもって幻想的ではなかった。だが「パリ」「セーヌ川」「ライトアップ」はロマンチックな雰囲気を楽しませてくれる。しかし、先にも述べたがライトが明るすぎて船の真横の景色は昼間のように明るくなっているのでロマンチックさは3割引って感じ。このクルーズは1時間強の所用時間がかかるのだが、最初のうちは楽しかったし、夜景に夢中だったけど、とにかく寒い。復路に入って一度見た景色になりだすと寒さで集中力が欠ける。風が直撃するし復路に入った途端に船内に入った客が多く風除けになる人も少なくなっていた。
 
相方が買ったコートが羨ましかったw。最後の10分くらいは耐えられなくなり船内へ引っ込んでしまった。
クルーズが終了し乗船上を後にする。日本であれば帰りにラーメンでも食べて温まりたいところだが、ここはパリ。
夕食も抜いているので空腹感もある。レストランで食事をして行きたかったが、時刻は23時をまわっている。
深夜の地下鉄の治安から考えて少しでも早く帰るのが賢明と判断。タクシーを利用しようかと思いましたが、ちょうどクルーズ終了した観光客が大勢地下鉄へ向かっているので、それに便乗した。
これだけ人が居れば、スリと痴漢だけ注意していればなんとかなると予測。
無事、ホテル前に到着し、ホテルの近くの商店がまだ営業中だったので、インスタントのスープ(粉末状でお湯入れるだけのやつ)を購入し夕食代わりとした。
結局、ホテルについたのは24時をまわっていた。
明日は朝早いが飛行機の中で眠れるだろうから特に影響は無かった。
 
7~8日目 パリ~成田 2008,09,19~20
 ホテルで朝食。フランス国内でとる最後の食事。ずっと憧れて、来てみたくて、ようやくこれたフランス。
本気で帰りたくなかった。
バスに乗りシャルル・ド・ゴール空港へ到着。飛行機のチェックイン手続きをしてくれた職員に「Merci, Au revoir (ありがとう。さようなら)」と挨拶すると、「Au revoir. Bon voyage.(さようなら。よい旅を)」と答えてくれた。フランスでは挨拶が重んじられており、お店に入っても挨拶するくらい。私も常に関わった人には挨拶をしてきた。
こういったコミュニケーションも非常に楽しかった。それが余計に寂しさを感じさせた。
エールフランスの飛行機に乗り込み、いざ帰国の途へ。絶対にまたフランスを訪れるぞ。